ジャヤヴァルマン8世(在位1243-1295年)
中国の元朝が隆盛しており、アンコール王朝も1283年に元軍の攻撃を受けて、1285年には元朝のフビライ・ハンへの朝貢をはじめ
1295年
アンコール朝最後の石造寺院といわれるマンガラルタMangalarthaがバラモン僧ジャヤマンガラルタのために造営
が、ヒンドゥー教は徐々に衰退し、ジャヤヴァルマン8世の娘婿シュリーンドラヴァルマン(在位1295-1307年)の時代にはスリランカから流入した上座部仏教が広まっていた。
元朝の使節だった周達観によって『真臘風土記』が記されたのはこの時代、1296年から1297年とされている。
シュリーンドラジャヤヴァルマン(在位1307-1327年)
1531年と1557年にはアユタヤに侵攻
1540年アユタヤの侵入軍を撃退
王は1550年にアンコール都城を再発見
1564年から1566年にかけてアンコール・ワットの浮彫を追刻している。