アンドゥオン王

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1798~1859年、在位1845~1859年

シャム(現在のタイ)に亡命していたが、1846年に隣国シャムとベトナムの合意が成立して帰国し王位につく。 1853年11月、ひそかにカトリック教徒の高官をシンガポールに派遣し、シンガポールのフランス領事を通じて、書簡をナポレオン三世に送りフランスの保護を要請した。しかしその情報がシャムに漏れてしまったため、反発を恐れフランスへの要請を取りやめてしまった。 後継は、副王であった長男ノロドム王

現在のカンボジア王国憲法では、アンドゥオン王かその子ノロドム王とシソワット王の子孫だけが王位につくことができるとされていて、現在のカンボジア王室の始祖にあたる。

王国再建事業の一環として州の再編成やカンポット港の整備をし、ウドンを中心とする国内交通ネットワークを整備し、また、宮廷音楽や宮廷舞踊の復活やプチュンボンなどの祭礼儀式の整備、伝統法典の蒐集、年代記の編纂なども行い、現代カンボジアの基礎を作り出した王である。 カーカイ(1815)、チバップスレイ(1837)などを著す。