一ノ瀬泰造
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戦場カメラマン。1970年代、激戦のベトナム・カンボジアへ飛び込み、26歳の若さでカンボジアでその人生を終える。(誤:一之瀬泰造、一ノ瀬泰三)
略歴
- 1947年11月1日 佐賀県武雄市生まれ
- 1970年3月 日本大学芸術学部写真学科卒業
- 1972年1月 自費でインドパキスタン戦争の取材にでかける
- 1972年3月 カンボジアの戦場に立つ
- 1972年6月 カンボジア強制退去
- 1972年~ ベトナム戦争取材 アサヒグラフ ワシントンポストなど内外のマスコミで活躍。
- 1973年6月 カンボジア再入国 首都プノンペンに一ヵ月滞在。公安に監視され地方に行くことは許されなかった。
- 1973年8月 サイゴンのカンボジア大使館で、2週間という条件でビザを発行してもらい、韓国の弾薬輸送船に乗り、プノンペンに向かう。3割しかプノンペンに着かない危険な賭けだ。
- 1973年11月8日 シェムリアップにて友人のカンボジア人教師の結婚式を撮影する
- 1973年11月22日か23日 アンコールワットに単独潜入して行方不明
関連
一ノ瀬泰造オフィシャルサイト http://www.taizo.photographer.jp
泰造の墓
長く彼の消息は不明だったが、1982年に両親も同行したテレビ局の取材によって、プレアダック村に眠る遺骨が発見された。 その後、遺骨の一部はアンコールワット境内の木の下に埋められ、残りは彼の故郷である佐賀県武雄に眠っている。
プラダック村
カンボジアのアンコールワットのほど近く、プレアダック村に一ノ瀬泰造氏の白骨化した遺体が発見された現場があります。現在は、地元の人間によって「墓」として墓標が作られ半分観光地化されていますが、彼が処刑された忌まわしき場所でもあり、親族関係者の心中は複雑なものであると想像されます。