国旗
カンボジアの国旗は、中央に黒で縁取りされた3つのタワーの白いアンコールワットを備えた、青・赤・青の水平な3つのバンドで構成されています。
特別な名称は無く、クメール語で「トンチアット」(トン<旗>+チアット<民族>)と呼ばれています。
現在のこの国旗は、1993年6月30日に再建されたもので、1948年~1970年のシアヌーク時代に使用されていたものと同じデザインです。
目次
色の意味
カンボジア国旗の歴史
フランス植民地時代 (1863年~1948年)
カンボジアの国旗は、フランス統治下で初めて制定され、少しづつ変化していきました。現在のものと同じくアンコールワットがデザインされています。
第二次世界大戦中、日本の占領を受けて一度カンボジアは独立しますが、日本の敗戦後独立を解消して再びフランスの保護下に戻ります。 この旗は日本占領下に使用されたものです。 アンコールワットを上から見たデザインと思われます。
シアヌーク時代 (1948年~1970年)
正式にフランスから独立する1953年の数年前、シアヌーク国王による独立運動の中で新しい国旗が決められました。 アンコールワットを描いたこのデザインは、カンボジア独立とシアヌーク国王の象徴として広く使用されます。 その後、ロンノル将軍によるクーデターによってシアヌーク政権が倒され旗も新しくなりましたが、軍の一部や亡命政権では引き続きこの旗がシンボルとして使われ、1975年4月~1976年1月の短い期間に国連の本部で掲げられたこともあります。
内戦後の王政復活で再びカンボジアの象徴として同じ旗が使われることになります。
クメール共和国 (1970年~1975年)
ロンノル将軍によるクーデターの後1970年10月9日から、1975年4月にクメールルージュを中心としたカンボジア民族統一戦線によるひとまずの内戦終結を迎えるまで使われた旗です。 アメリカの介入によるロンノル政権というものを象徴したデザインとなっています。
内戦状態下での旗ですので、もちろんカンボジア統一のものではなく、反政府勢力では使用されていません。この後、民主カンプチア政府樹立までの数ヶ月はシアヌーク時代の旗が使用されます。
民主カンプチア (1975年~1979年)
クメールルージュの民主カンプチア政府が1976年1月に制定した旗です。 クメールルージュのシンボルとしてこの以前から使われていたもので、共産主義国に多く見られる赤字に黄色シンボルの旗です。中心の3つの塔はアンコールワットでは無く単にモニュメントと呼ばれました。 1979年1月にベトナム軍に後押しされたカンプチア救国民族統一戦線がプノンペンを解放し、この旗も降ろされることになるのですが、ゲリラ活動を行うクメールルージュのシンボルとして各地で振られていました。 ただし、国連では1991年まで民主カンプチアが議席を持っていたので、この旗が正式なカンボジア国旗として使われ続けました。
カンプチア人民共和国 (1979年~1989年)
1978年12月に反クメールルージュのヘンサムリンとフンセンの一派「カンプチア救国民族統一戦線」がベトナム軍を引き連れてカンボジアへ侵攻し、翌1979年1月にプノンペンをクメールルージュから解放し、カンプチア人民共和国を樹立しました。
共産国色はそのままに塔を5本にしたデザインです。 しかしカンプチア人民共和国は国際的に認められることはなく、この旗も認識されずに終わることとなります。
カンボジア国 (1989年~1991年)
カンボジア和平への動きの中、1989年5月1日にカンプチア人民共和国からカンボジア国に国名が変更され、それに合わせて国旗も新しくなります。 この旗も国際的に認められることはありませんでした。
UNTAC時代 (1991年~1993年)
カンボジアの混乱を収めるためにパリ和平会議によって国連の介入が定められ、UNTAC(国連カンボジア暫定統治機構)によるカンボジア新政府樹立のための活動が行われることとなります。 この旗はカンボジア国旗ではありませんが、UNTACのシンボルとして広く使用されました。国連の青地に白でカンボジアの領土の形が描かれ、中心にはクメール文字でカンボジアと書かれています。
カンボジア王国
現在